歴史とお話
金沢にある新天地商店街は、ラブロ片町(旧大和)裏通りの一角に位置し、片町繁華街の一翼を担っております。発足当時は小料理屋26軒、すし屋3軒、菓子屋1軒、本屋1軒、カフェ4軒、料亭1軒、喫茶店1軒、料理店1軒、ホテル1軒の計65店舗で構成された町でした。現在は、小料理店やすし屋、タバコ菓子屋、料理店、バー、レコード店、洋服屋や古着屋、居酒屋、レストラン、カラオケと多彩な業種が展開されています。これからも先人達の築いてきたものを大切にし、お客様に育てられる街として、「明るく楽しく、飲めて歌えて、買い物もできるおしゃれな街」をめざしたいと思っております。この街の将来、行く末をお地蔵様と共に見守っていただければ、と願ってやみません。
昭和25年5月 兼六商業協同組合として発足
昭和27年5月 新天地商交会
昭和28年5月 新天地商業協同組合
昭和31年5月 新天地商業組合
昭和38年7月 新天地商店街振興組合として石川県より設立認可を得る
そもそも、当所に安置し奉る地蔵尊は、今より1180年前平安初期大同2年に建立されしものにして、その作者いわれは不詳なれども、この尊像はまことに霊験あらたかにして、永く人々の尊崇を集め今日に緒及べり。一時、縁ありて加賀六代藩主前田吉徳公の家臣大槻伝蔵の屋敷に安置さられ日夜祈願せしものなりと言う。伝蔵は加賀藩によくその功ありて、足軽より三千六百石の高禄を拝領する身となりしも、重臣達の恨みをかいて、越中五箇山に流刑さられ、自ら命を絶ちたるものと伝えられる。しかれども、地蔵尊は当地の人々によりて、伝蔵も菩提を弔うとともに、ひそかに開運出生を祈願せしなり、まことに地蔵尊の慈悲は、よく人々の苦難を救い、その縁に従って利益を授け給うことに疑いなし。 ここに、謹んで拝礼をとげらるるべきものなり。
合掌